[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「え?お父さん、死んだんとちゃうかったん?」
実家の食卓で朝食を食べようとしてふと左隣を見ると、10月に亡くなったはずの父が新聞を広げ、こちらを向いて座っていた。亡くなった時には抗がん剤でハゲちゃびんになっていた頭が黒々としており、黄疸で真緑だった顔もなんだかつやつやだ。
「いやあ面目ない。実は、生きておりましたとさ。はっはっはっ、歯が白い~♪」
生前同様、真面目な顔で胡散臭さ丸出しの父。だが、歯が白い~・・・などと照れ隠しで歌っている場合じゃなかろう。あんな盛大に(?)葬儀を執り行い、おまけに私は父のお骨(コツ)をガリガリ齧っているのだ。あのお骨はいったい誰のだったというのだ?
「ああ、おねえはん。あれは別人のん。」
「ぶげ。」
思わず噴飯した私。なぜか得意げな父は続ける。
「焼かれたんは別人の死体や。入れかわってたんや。あの病室で臨終を迎えたふりをして、わしはそのまま階下の特別手術室で最新の極秘治療を続けてたんデスヨという訳や。ようやく完治したから戻ってきたんやけどどうや。すごい話やろ。」
「・・・・うそやー。」
「うそやあれへんがな。おねえはんはおとうはんを信じてくれへんのか、寂しいなあ。おヨヨ。」
オイこら、泣くな、父。・・・変な泣きまねをし続ける父を尻目に席をはずして冷蔵庫へマヨネーズを取りに行くと、キッチンで祖母がお茶碗を洗っていた。ちなみにうちの父はマスオさんと同じで、養子ではないものの、妻(私の母)の実家に同居していた。いや、している?
「シゲルさんが生きてはったなんてびっくりしたわ。」
「おばあちゃんも知らんかったん?なんで今まで隠してたんやろ。」
などと立ち話していると、遠くから子供の泣き声がきこえてきた。娘だ。ぼんやりとした意識の中で泣き声のするほうへ頭を向けたら、ちょうど階段から降りてきた母と目があった。母は憑きモノが落ちたかのようにさっぱりした、そしていままでに見たこともないようなやさしい笑顔をこちらにむけた。何か声をかけようかとも思ったが、娘の泣き声が大きくなったので慌てて体をひねったら私の母乳を必死に飲む長女が胸の中にいた。
ああ、私は夢を見ていたんだ、と、その時ようやく気付いた。だがあたりにはまだカスミがかかっており、私は父が生き返ってくれてよかったという喜びと安堵でいっぱいだった。
ベッドの中で娘に授乳しながら少しずつ冴えてくる頭で考えてみると、そういえば、祖母も、三年ほど前に、亡くなっていた・・・。
夢の中の父が若かったのは、最近昔のアルバムをひっくり返していたからに他ならない・・・。
20数年前の父の写真。
部下か誰かの結婚式で仲人をした時。
これは、その神前式での父と母。
「酒飲み」の口をしている父が面白い。
闘病生活一年。
亡くなる寸前まで仕事に行き、
私がアメリカから戻ってきた次の日に亡くなった。
よく頑張ったね、ありがとう。
2009年10月17日午後5時40分。
享年63歳。
戒名、招福院釈教繁。
・・・笑福亭だったらあっちで落語家になれたのに。
このブログ、父に見せるためだけに作ったんだけどな。
唯一の読者は雲の上・・・。
03 | 2024/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
28 | 29 | 30 |